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わたしの身体は誰のもの?

~ボディイメージにまつわる問題を美容整形というキーワードで読み解く~

 

目次
0章 はじめに
0.1 研究動機
0.2 語句定義
0.3 発表の流れ

1章 ボディポジティブの限界
1.1 日本におけるボディポジティブの普及
1.2 資本主義に回収されるボディポジティブ

2章 身体をニュートラルに捉える
2.1 ボディニュートラルという新概念
2.2 ボディニュートラルの限界
2.3 美容業界の罪と責任

3章 家父長制によってモノ化された身体
3.1  女性の身体の自己決定権
3.2 K-POPアイドルの空虚なエンパワメント
3.3 「綺麗になって見返してやる!」の問題点
3.4 「整形女」という烙印

4章 それでも女をやっていく
4.1 美容整形という希望
4.2 ルッキズムから解放されたはずだったVtuber
4.3 軸をすり替えることの問題点
4.4肉体は魂の器

 

結論
0章 はじめに
0.1 研究動機
・親権者の同意書が不要になる20歳になったその月のうちに、私は美容整形の手術を受けた。
・というのも、それまでは父親に「顔が変わったら自分の子供ではなくなる」ということを言われ、美容整形を初め、ピアッシング、カラーコンタクト、タトゥーなどの身体加工は全て禁止されていたのだ。
・私は反抗的かつ自暴自棄であったため、美容整形、リストカットをはじめとした自傷行為ボディピアッシングなど様々な身体加工に手を出してきた。
・今思えば、自分の身体が物として管理されていることへのささやかな抵抗だったようにも思われる。
・このような経験から、社会の中で女性の身体というものがこれまでどのように扱われてきて、そうした状況を今、誰がどのように変えようとしているのか、ということに興味を持った。
・前年度の発表では、社会には未だ根深くルッキズムは残っており、それを変えることは不可能であるため、美容整形は手っ取り早くルッキズムの苦しみを取り除く、いわば一抜けする手段の一つとして、今後も存在し続けるということを述べた。
・しかし、私たちが他者からの容姿のジャッジから逃れることは本当に不可能なのだろうか。
・今年度の発表では、女性の身体の自己決定権を取り戻そうとするフェミニズムの文脈を取り上げ、女性が自分の身体の自己決定権を取り戻す営みとしての美容整形の可能性と、そのことが何を取りこぼしてしまうのか、ということを探る。

0.2 語句定義
・「美容整形」…容姿を整えることを目的として行う施術を指す。代表的な手術には、二重まぶたなど眼瞼の手術、鼻を高くする隆鼻術、顔面の首にたるみをとるフェイスリフト、腹部や臀部の余分な脂肪を取る脂肪吸引、乳房の形を整える手術、レーザーであざを消す手術等がある。本発表ではヒアルロン酸注入やメスを使わない手術などのプチ整形も含める。
・「モノ化」…身体をある程度自由に改変可能なモノとして捉える動きのこと。
・「反・モノ化」…自然でありのままの身体を受け入れ、モノ化の流れに抗う動きのこと。

・「ボディポジティブ」…サイズや形、肌の色、身体的特徴に関係なく、すべての体を受け入れることに焦点を当てた社会運動のこと。
・「身体の自己決定権」…人が外部からの強制を受けることなく、自分の身体に起こることを管理・決定する権利のこと。

・本発表では美容整形について語る上で、「美しさ」「醜さ」という言葉が度々登場するが、それぞれの語句の定義について具体例を挙げて明言するということはしない。なぜなら、美しさというものは一般的に時代や文化圏によって違うものであり、多数決によって決められる、つまり、より多くの人に美しいと思われるものこそが美しさであると言えるからだ。

0.3 発表の流れ
・各章の流れは以下である。
・まず1章では、ボディポジティブをはじめとした、従来の基準で「美しくない」とされてきた身体の美しさを主張する運動の限界について述べる。
・2章では、ルッキズムの苦しみから逃れるためのヒントになり得る新しい概念を紹介し、問題解決の糸口を探る。
・3章では、2章までの内容を踏まえ、他者からのジャッジがなぜ生じるのかという点に着眼し、その行為の根底にある価値観が、どのようにして形成されたのかについて考察する。
・4章では、現在の社会の中で、それでも女の身体を生きていくためにはどうすればいいのか、という問いに対する答えを、美容整形というテーマに立ち返りながら考察する。


1章 ボディポジティブの限界
1.1 日本におけるボディポジティブの普及
・前年度の発表では、自分の身体を物理的に改変可能なモノとして扱う「モノ化」に抗う流れとして、ボディポジティブなどの運動によって、既存の美しさの基準を打ち壊すことを目的とした「反・モノ化」の流れがあると述べたが、その際、事例が多い海外での例を挙げ、考察の材料とした。
・では、日本ではボディポジティブはどの程度浸透しているのだろうか。
・東京都立図書館公式ホームページの蔵書検索に「ボディポジティブ」「ボディ・ポジティブ」と入力してみたところ、下記のような検索結果を得ることができた。
・検索結果は全11件であった。
・日本の雑誌に「ボディポジティブ」という言葉が最初に登場したのは、2019年6月1日に刊行された『Vogue Japan 238号』であった。
・(なお余談ではあるが、『Vogue Japan 238号』が刊行された6月1日の1週間前の5月25日には、#MeToo ムーブメントの渦中と人となった映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインが2013年のレイプ容疑と2004年の性的行為の強要容疑で逮捕されている。弁護人を通じて無罪を主張していたが、禁固23年の実刑判決を受けている。)
・(さらに、2019年9月10日には、ワインスタインのセクハラについて最初に告発記事を発表したニューヨーク・タイムズの記者、ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーが、取材経過をまとめた著書『She Said: Breaking the Sexual Harassment Story That Helped Ignite a Movement 』(邦題『その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い』を出版した。)
・(ボディイメージに限らず、2019年は女性の権利を主張する声が強まってきた年であると言えるため、二者間の繋がりは否定できない。)
・2020年までは、本誌『Vogue』がアメリカを本拠地とする『Vogue Japan』にのみ、ボディポジティブというワードが見受けられた。
・しかし、2020年7月1日に刊行された『Voce 23巻10号 通巻298号』を皮切りに、2020年7月23日には『キャンキャン 39巻10号』が、2021年4月1日には『ウィズ41巻5号通巻501号』、2021年4月5日には『アエラ34巻17号通巻1852号』、2021年には『Elle 442号』、2021年7月30日には『Story20巻9号』に、それぞれボディポジティブというワードが登場している。
・以下はそれぞれの雑誌タイトルと刊行された日付、ボディポジティブが取り上げられたページのタイトルである。

Vogue Japan 238号 (2019年6月1日刊行)
ボディ・ポジティブな女たち。

Vogue Japan 249号 (2020年5月1日刊行)
ボディ・ポジティブな美脚最前線。

Voce 23巻 10号 通巻298号 (2020年7月1日刊行)
神崎恵のボディ・ポジティブ論

キャンキャン 39巻 10号 (2020年7月23日刊行)
#BOPOボディポジティブって何だろう?

Vogue Japan 257号 (2021年1月1日刊行)
進化するボディポジティブ。

ウィズ 41巻 5号 通巻501号 (2021年4月1日刊行)
ボディポジティブで、春のおしゃれを楽しく!

アエラ 34巻 17号 通巻1852号 (2021年4月5日刊行)
渡辺直美は「ボディポジティブ」の世界的アイコン

Elle 442号 (2021年6月28日刊行)
“ボディポジティブ”って何?自己肯定感の高め方
今すぐ実践できる!“ボディポジティブ”になるためのTIPS10

Voce 24巻 13号 通巻320号 (2021年7月1日刊行)
吉岡里帆のボディポジティブ

Story 20巻 9号 (2021年7月30日刊行)
マシュマロ派・野呂佳代さんに聞いた、「私のボディポジティブ美容」


・上記の検索結果からは、海外カルチャーを主に紹介している『Vogue Japan』を中心に、少しずつではあるものの、ボディポジティブという言葉が徐々に広まってきているということが読み取れる。
・しかし、それらは本当に、サイズや形、肌の色、身体的特徴に関係なく、すべての体を受け入れ、自分たちのありのままの姿を受け入れる、つまりは体にまつわる差別を無くそうという、本来の社会運動としての文脈に基づいて、正しい意味で使われているのだろうか。

1.2 資本主義に回収されるボディポジティブ
・1.1では、ボディポジティブという概念が、日本でも徐々に広まり始めていることを確認した。
・しかし、それらは本当に、本来の意味で、正しい文脈で使われているのだろうか。
・以下は、2021年9月22日発売の『anan No.2267』の目次から抜粋したものである。

私らしく、ボディポジティブでいこう!
美乳強化塾2021

自分の体をもっと慈しもう。
6人の“ボディポジティブ論”。

大きさ別の悩みも解消!
美胸に必須の土台・筋肉を徹底刺激。

800万回超再生!さくまみおさんが伝授。
80秒バストマッサージ。

10秒で整い、バストラインが復活。
魔法のポーズで正しい姿勢を取り戻す。

アンチエイジングにもお役立ち。
美乳のための、薬膳的スープ7種。
手をかけ育てる美胸時間。
至福のお手入れコスメ。


・「私らしく、ボディポジティブでいこう! 美乳強化塾2021」。このキャッチフレーズひとつを見るだけでも、ボディポジティブが資本主義社会に都合良く回収されようとしていることが分かる。
・本来、社会が提示する理想のボディイメージを撤廃し、自分の体を居心地よく生きるための概念であったはずのボディポジティブが、身体をモノ化・商品化し、「もっと向上しましょう」「そのためにこんな商品を使いましょう」「もっと消費しましょう」という文脈に絡め取られている。
・美容、ファッション業界を初め、資本主義社会はどこまでも貪欲に、更なる利益を得るために、「なんとなくおしゃれで聞こえが良くて流行っているもの」は、なんでも自己の一部として取り込み続ける。
・例えば、近年ではセクシュアルマイノリティの権利が叫ばれているが、クィアベイティングという概念もこの傾向に基づいていると考えられる。

クィアベイティングとは、実際にはクィアではない人がレズビアンバイセクシュアルなど、あたかもセクシュアルマイノリティであるかのように匂わせることで、世間の注目を集める手法のことを指す。
・上述したananが典型例であるが、ボディポジティブが取り上げられている日本の雑誌は、一冊全体を読んだ際には、既存の美しさの規範を強化するような、ボディポジティブの考え方と矛盾するような表現が目立った。
・さらに、プラスサイズモデルは「ボディポジティブ」という枠でしか登場することを許されておらず、デフォルトのファッション紹介からは明確に区別されていた。

・これらの根拠から、日本でボディポジティブの考えが正しい文脈で定着するまでには、まだまだ時間がかかるのではないかと推測される。

2章 身体をニュートラルに捉える
2.1 ボディニュートラルという新概念
・1章では、ボディポジティブには限界があるということを述べた。
・この章では、ボディポジティブが取りこぼしてしまう問題を掬い取る可能性を持つ、新しい概念を紹介し、その問題点を考察する。
・ボディポジティブに代わる新しい概念として、近年台頭してきたのが、「ボディニュートラル」という概念である。
・「外見や体型へのコンプレックスを受け入れ、自分の体を愛す」というボディポジティブに対し、ボディニュートラルは「ポジティブになれなくても大丈夫」という考え方を提唱している。
・ボディニュートラルとは、自分の外見や体型に対する感じ方を、そのまま受け入れるということである。
・前章で取り上げたボディポジティブは、自分の外見や体型を愛そうと努力することを前提とした考え方だ。
・この考え方は、自分の見た目や体格に対するコンプレックスを肯定することを推奨しているが、中には無理に自分を納得させることに抵抗を抱いたり、頭ではボディポジティブの考え方を理解し、賛同していても、やはり既存の美しさの基準に囚われてしまう、というダブルスタンダードが発生してしまい、本質はなかなか変わらないと感じる人も存在する。
・このように、ボディポジティブになりきれない状態がかえってストレスになり得ることは、近年登場した、Toxic Positivity(有害なポジティブさ)という概念でも説明することができる。

・つまり、ボディニュートラルであるということは、ボディポジティブになれない自分を受け入れることとも言える。
・米学術誌「Journal of Personality and Social Psychology」が発表した研究では、ネガティブな感情を元に自分を見ようとすると、羞恥心と罪悪感が意識に刻み込まれ、そのサイクルが習慣となってしまう可能性が示唆されている。ネガティブな感情を持つことを許すことで、メンタルヘルスが改善されるという結論が導き出された。
・つまり、自分のコンプレックスに対して負の感情を持ち続けることと同様に、肯定感を持てない自分自身を許せないことも、セルフイメージやメンタルヘルスにダメージを与える可能性があるということである。
・特に、摂食障害や性別違和症候群、不安症やうつ症状に苦しむ人にとって、「ボディポジティブになること自体」に負担を感じてしまうこともあるということだ。

・では、ボディニュートラルの実践とは、具体的にはどのようなことを指すのだろうか。
・ボディイメージはすぐに書き換えられるものではない。
SNSやインターネット、テレビなどが台頭する情報社会では、“痩せていることが正義”という考え方やダイエットカルチャーが助長され、私たちのボディ・イメージに多大な影響を及ぼしていいる。
・自分が抱くボディイメージは、すぐに消したり改善できるものではないという考え方を持つだけで、自分への思いやりに繋がると考えられる。
・自分の体に対するコンプレックスは、それを抱くようになったきっかけが必ず存在する。
・ボディ・ニュートラルの実践とは、周りの人々に言われた一言や、SNSなどで人と自分を比べてしまった経験などを顧みながら、コンプレックスやネガティブな感情を持つようになった根源を突き止めること、そして、“こういう見た目であるべき”という考え方は、人々が作り出した幻想であるということを認識しようとすることだと言えるのではないだろうか。

2.2 ボディニュートラルの限界
・前節では、ボディポジティブを自分ごととしては受け入れられない人々にとって、ボディニュートラルという概念が、自身のボディイメージにまつわる諸問題を解決するための糸口になるのではないか、ということを述べた。
・しかしながら、ボディニュートラルにも限界は存在すると考えられる。
・なぜならわたしたちは社会の中で生きており、社会の側から常に理想のボディイメージを提示され続けているからだ。
・ひとたび電車に乗れば、女性向けの脱毛広告や二重整形の広告、パーソナルジムの広告が嫌でも目に入り、個人の意思に関係なく「ムダ毛は他人に不快感を与えるため脱毛しましょう」「一重まぶたは二重まぶたに矯正しましょう」「このような身体を目指しましょう」といったメッセージを受け取り続ける。
・小学校の頃には「クラスの可愛い女子ランキング」が当たり前に存在し、私たちには子供の頃から、自分の身体と他者(多くの場合同性)との身体の違いを意識せざるを得ない状況が与えられ続ける。
・価値観は社会からの刷り込みによって形成される。このような社会で生きていく中では、「このような理想の身体を目指しましょう」という価値観は、「理想の身体にどれだけ近いか、どれだけ離れているか」という優劣のジャッジに容易に転ぶと考えられる。
・つまり、「理想の身体幻想」によってこの社会には、絶えず他者からジャッジされ続ける土壌が形成されてきたと言える。
・プラズサイズモデルへのコメントとして、「健康的なら良いと思う」というものがよく見られる。
・これは誹謗中傷ではないものの、根底には「他者の身体は好きにジャッジしても良い」という意識が存在していると考えられる。
・どのような姿で生きていくか、という問題にとどまらず、健康的に生きるかどうか、さらに言えば、安楽死の合法化が可決された国が増加していることからも分かるように、いつまで生き、いつ死ぬかすら、自分で決める時代になりつつあるのではないだろうか。
・つまり、自分でコントロールできる範囲において、健康的でいるかどうか決めることは、どのような姿で生きるかということと同じく、身体の自己決定権の範疇であると言えるのではないだろうか。
・ただし、社会に出る以上責任は伴うため、他人にかかる迷惑については考慮する必要はある。
・理想のボディイメージという幻想が蔓延り、そうならなけらばならないというメッセージを提示され続けるこうした社会の中で、ボディイメージの乖離に苦しみながら、理想の身体を目指すこと、あるいは逆に、ボディポジティブ的な捉え方に徹すること、そのどちらにも偏らずニュートラルな状態を意識し、刷り込みに抗い続けるのは難しいと言えるのではないだろうか。
・つまり、社会の側が、自分の身体をニュートラルに捉えるという状況を許さないのだ。
・そのため、社会の問題を個人の捉え方の問題へと矮小化する、ボディニュートラルの捉え方には限界があると言える。

2.3 美容業界の罪と責任
・前節で述べた、自分の身体をニュートラルに捉えるという状況を許さない社会に加担してきたのが、主に化粧品を商材として扱う美容業界である。
・余罪は多々あるのだが、今回は2つの例を挙げて、美容業界がこれまでに犯してきた罪とは何なのかを明らかにしていく。
・化粧品のオンラインショップの中で、アイシャドウのページを開くと、実際に使用する際の塗り方が解説されていることが多い。
・複数の色がセットになったアイシャドウパレットなどは、消費者の需要を汲んで、下まぶたの目頭には明るい色、目尻には一番暗い色、上瞼全体に中間の色を塗る、といった風に、あらかじめ使い方を提示するのだ。
・こうした目元メイクの図解は、化粧品のオンラインショップに限らず、雑誌などでも頻繁に見ることができる。
・そして、「二重幅に塗る」。この言葉は、こうした目元メイクの解説の図に頻出するワードである。
・この言い回しが頻出する、という事実から分かるのは、初めから、消費者の目は二重まぶたであることが前提となっている、ということだ。
・大袈裟な言い方をすれば、美容業界からしてみれば、デフォルトとして設定されている人類の目は二重まぶたであり、一重まぶたの人間は、消費者という立場でありながら、商品を購入する前からそのスタートラインにも立たせてもらえていない、とさえ言える。
・続いて、現在の美容業界の構造が、若年層の心身を脅かそうとしている例を紹介する。
・以下は、WWD JAPAN「『ケイト』の小顔シルエットマスク第3弾が登場 グラデーションの視覚効果で顔印象スッキリ」2021/08/20より引用したものである。

カネボウ化粧品のメイクブランド「ケイト(KATE)」は、人気シリーズ“小顔シルエットマスク”の第3弾製品“ケイト マスク Ⅲ”を年8月21日に数量限定発売する。今回はマスクにシェード&ハイライトのグラデーションを施して立体感を作り、視覚効果による小顔印象を演出。さらに目元の立体感を強調するアイブロウアイテムを組み合わせることで、印象を簡単に変えることも可能だ。発売に先駆け、渋谷スクランブルスクエア6階の+Q(プラスク)ビューティー内に25日まで設置している「ケイト」の自動販売機でも購入できる。
 「ケイト」は、“マスクもメイクの一部“と考え、昨年12月から小顔に見えるマスクを開発しシリーズ化している。“小顔シルエットマスク”は伸縮性のある素材でフェイスラインがすっきり見える立体形状を採用。新デザインでは顔の高い位置にハイライトカラー、フェイスラインにはシェードカラーをグラデーションして施している。ブラック、ラベンダー、ピンク、ブラウンの4色展開で、手洗いで繰り返し使うことができる。

・続いて、以下はkate公式アカウントによる「小顔シルエットマスク」のプロモーションツイートから引用したものである。

#ちょっとだけKATEの話を聞いてほしい
 #KATE小顔シルエットマスク 第2弾
#中顔面の余白を短く見せる新デザイン
面長さんでなくても、
誰でも簡単に引き締まった小顔印象に

・「小顔シルエットマスク」という商品自体はそれほど問題ではない。
・問題は、このプロモーションツイートや、一連のプロモーションでしばしばKate公式によって使用されている「中顔面」というワードである。
・そもそも、中顔面とは何か。
・美容整形外科の小木曽クリニックの公式ホームページでは、「中顔面」について以下のように定義されている。

眼窩下縁から上顎骨下縁(目の下から上アゴ下端)までを中顔面と言い、この部分が長いと顔の中央部分が長く間延びして見えます。

・中顔面とは、かつては主に、TwitterをはじめとするSNSで、美容整形について語るアカウント、いわゆる「整形アカ」で使われていた言葉である。
・「整形アカウント界隈」は主に、自分が目指す顔に近づくために最適な美容整形手術の情報を集めている人や、今後同じ手術を受ける人のために、経過の写真を載せて情報共有する人から構成されている。
・かつての美容整形は、今ほどオープンに語れる話題ではなかったせいか、整形垢界隈はアンダーグラウンドな界隈であったため、「中顔面」という言葉を知っている人はごく一部であった。
・しかし、KATEがこの単語を使用したことからは、現在では一般にも「中顔面」という言葉が浸透しつつあることが読み取れる。
・中顔面を短縮する手術としてはいくつかの方法が存在するが、先に紹介した小木曽クリニックのホームページでは「ルフォーⅠ型 中顔面短縮術」について紹介されていた。
・これは、上顎骨の歯槽骨上部を梨状孔へ向かって水平骨切りし5mm~7mmの幅で骨を水平に切除して、分節化した上顎骨を上方へ移動してチタンプレートで固定する手術である。
・中顔面を短縮することで間延びした印象が改善するとともに、顔全体の長さも短くなる。
・気になる施術価格はなんと、1,980,000円(税込)であった。
・上述したルフォーに代表される、中顔面を短縮するための手術は、日本のクリニックで手術を受ける場合、ほとんどは200万円近い料金が必要とされる。
・さらに、手術を受けてから1〜2週間の間は、口もほとんど開くことができないほどの腫れによって、日常生活に多大な影響を及ぼす上に、顔面麻痺や顔の痺れといった後遺症が残るなどのリスクも存在している。
・「小顔シルエットマスク」を発売したKATEは、価格設定が比較的手頃であることから、10代前半の女性たちを含む、若年層をターゲットにしていると推測される。
SNSが普及したことによって、整形アカウントをはじめとした、美容整形に関する情報へのアクセスはより容易になり、いわゆる「整形垢界隈」はアンダーグラウンドなカルチャーではなくなりつつある。
・だからこそ、企業が公式のプロモーションで「中顔面」という言葉を使用することのネガティブな影響力は計り知れない。
・外部からの影響を受けやすい年頃にこうしたプロモーションを見たことによって、今までコンプレックスだと認識していなかった容姿の特徴を、コンプレックスとして認識してしまう可能性は否定できない。
・つまり、美容業界が背負うべき罪というのは、効率的に利益を得ること追い求めてきた結果、コンプレックスを作り出して商品を売る構造を温存し続けてきたこと、そしてそれによって、自分の身体に対してニュートラルでいたくても、ニュートラルでいさせないようにしてきたことであると言える。
・もちろん、美容業界に従事する人々は、美容によって美しくなる喜びというものが確かに存在すると信じ、
「美容によって人々を幸せにしたい」という夢や情熱を持って、数々の商品を世に送り出してきたことは理解できる。
・しかし私は、彼・彼女らの語る「美容によって美しくなる喜び」というものが、どのような価値観に支えられているのか、という点に着目したい。
・ここまで、美容業界は全面的に悪であるかのような書き方をしたが、上述したような、ルッキズムの構造の再生産に加担しない美容のあり方は存在しないのだろうか。
・「反骨の美容ライター」を自称する、美容ライターでありフェミニストでもある長田杏奈氏の著書『美容は自尊心の筋トレ』では以下のように述べられている。

「美容」という言葉は、明治後期に洋行帰りのご婦人によってもたらされた。「美」しい「容」姿を目指そうとすると、ハードルは高く荷は重くなり、いつまでたっても満たされない迷路にはまり込んでしまいがちだ。けれど、「美」はわかりやすい容貌の美しさだけで出来上るものではなく、空気感やその人らしさ、発する言葉、日々に向き合う姿勢などがトータルで現れ伝わるものだ。メイクでおまじないをかけ、スキンケアでセルフケアできている雰囲気をまとう。無理して、「締麗にならなきゃ!」なんて思わなくていい。まずは、「心地よさを大切に、とりあえず楽しもう」と決めること。美しさの解釈を思いっきり広げて、幸福な美容と暮らそう。
・・・
時代ごとに美の正解や、コミュニティの中で美しいとされる平均値があり、そこからはみ出る特徴を持つ人は、コンプレックスを感じがちだ。「今この瞬間に、誰から見てもわかりやすい美しさでいたい!」という一心で見れば、コンプレックスは今すぐ消し去りたい欠点になってしまうだろう。同時に、正解とされるものにはまりきらない何か、平均値からはみ出た何かは、そのまま個性に転換でき、スタイルにまで昇華できるチャームポイントでもある。みにくいアヒルの子に例えると、アヒルに混じった白鳥の子には「個性なんかいらない!浮きたくない!」とアヒル化する自由がある一方で、アヒルとは違う白鳥のチャームを自覚できれば、健やかなアイデンティティと自信を育むきっかけになるのだ。

・長田氏の提唱する「ルッキズムの構造の再生産に加担しない美容のあり方」とはつまり、「美醜の基準は一旦無視して、感覚的な心地よさを追求する」ということであると読み取ることができる。
・私は、ボディニュートラルの持つ限界と同じく、この考え方にも限界があるのではないかと考えている。
・この考え方の問題点は大きく分けて2つある。
・1点目は、更なる利益を生むために、単なる身体的な特徴を、コンプレックスという忌むべき対象にしてきた美容業界の罪を無視して、個人の捉え方の問題へと矮小化している点である。
・長田氏は「社会の中でコンプレックスとされているものは、チャームポイントになり得る」と主張している。
・しかし、コンプレックスをコンプレックスたらしめているのはこの社会であり、特定の誰かでもなければ、生まれ持った性質でもない、いわば言説が作り出した幻想である。
・コンプレックスを個性として捉えるとき、コンプレックスは「ありのままの自分」とイコールで結ばれる。
・そうすることで、コンプレックスと呼ばれた性質は、本人が生まれ持った動かせない要素として本質化されてしまうのではないか、という懸念がある。
・社会問題であるはずのルッキズムは、「コンプレックス」という個人の内面を反映した言葉によって個人の問題にすり替えられ、さらに自助努力によって克服すべきパーソナルな課題へと矮小化されていく。
・2点目。これはいわゆるそもそも論であるが、そもそも、この社会の中で一体どれだけの人が、この考え方を意識して実践し続けることができるだろうか。
・「ボディニュートラルの限界」の部分でも述べたように、社会が発する「理想の身体幻想」のメッセージを無視することは難しい。
・提示された絶対的な正解を盲目的に信じ、その姿に近づけるよう努力することに振り切ってしまえば、日常生活の中で矢のように浴びせられ続ける容姿のジャッジや、ルッキズムを内面化している自分、ボディポジティブの考え方には賛同しているものの、自分ごととして捉えることはできない自分、といった、容姿にまつわる様々な葛藤を感じずに済むと考える人は多いのではないだろうか。
・何かをやめる、ということがビジネスとして流行ることはほとんどない。
・長田氏の提唱する美容のあり方を実践することはつまり、波の様に押し寄せる「絶えず消費し続けよ」という成長主義経済からのメッセージに抗い続けるということである。
・長田氏は、ルッキズムが社会の問題であると認識した上で、個人レベルで手軽に実践できる方法を紹介している。
・しかしやはり、上述したように、社会問題であるルッキズムを、個人の捉え方を変えることによって解決しようとすることには無理がある。
・そのため、やはり社会に目を向ける必要が出てきた。
・そもそも、なぜこうした過剰なまでの身体への意味付けが行われるようになったのか。
・次章では、身体への過剰な意味づけが行われる原因を、社会制度という観点から考察する。

3章 家父長制によってモノ化された身体
3.1  女性の身体の自己決定権
・なぜ、これほどまでに女性の身体への過剰な意味づけが当たり前に行われているのか。
・私はその理由について、日本社会に家父長制が深く根付いていることに由来しているのではないかと考えた。
・この章では、「なぜ女性の身体への過剰な意味づけが当たり前に行われているのか」ということを、「家父長制の中で管理される体」「身体の自己決定権」という2つのキーワードを用いて考察していく。
・女性として生きてきた人ならば、「女の子は体を冷やしちゃいけないよ」といった旨の言葉をかけられたことがある人も多いのではないだろうか。
・優しげな言葉でコーティングされているが、これは、将来子供を産む体という前提があっての発言である。
・産む主体としての女性の意思とは無関係に、私たちの身体は他者によって好き勝手定義されており、そこでは、自分がどのような姿で生きるのか、化粧はするのかしないのか、子供は産むのか産まないのか、健康的に生きるのか不健康に生きるのか、といった、女性の身体の自己決定権は保障されていない。
・女性の身体の自己決定権が保障されていないことの例として、「結婚」と「中絶」という相反するイメージを持つ二つの場面を取り上げる。
・この二つの例を選んだ意図としては、相反する二つのイメージを取り上げることで、その存在に気付かないほどに、社会に家父長制が当たり前に浸透していることを証明するためである。
・初めに中絶の例を挙げる。
・中絶というテーマについて、さらに細分化し、中絶方法と堕胎法という二つの観点から考察する。
・海外の、特にキリスト教の影響が強い欧米諸国では、長らく中絶は罪とみなされてきた。
・しかし、世界で同時多発的に始まったといわれる1960年代~1970年代のウーマン・リブ(女性解放運動)を契機に、世界中で「中絶」に対する見方は激変していった。
・リブの女性たちは家父長制社会における女性役割からの解放を唱えるとともに、女であるがゆえに必要とする避妊と中絶の合法化を求めた。
・「女の身体は女自身のもの」と女性たちは叫び、妊娠は女の身体の中で生じ、女の人生に重大な影響を及ばす出来事であるため、「産む/産まないは女が決める」と主張した。
・女性の権利意識の高揚と中絶技術の進化は、互いに共鳴しながら広まっていった。
・20世紀後半に中絶が合法化された世界中の国々の医師たちは、当初、プラスチック管と金属製の機械で子宮内容物を吸引する方法を導入した。
・後に大型のプラスチック製シリンジを使って手動で子宮の中身を吸引するより簡便な手動吸引器が登場し、後に内服薬で流産を生じさせる方法も開発されて、中絶はより早期化され、倫理的懸念が緩和され、より手軽でアクセスしやすくなり、今や世界では助産師でも行える安全な医療処置になっている。

・今や国連やその関連機関では、ジェンダー平等と人権尊重の観点から「中絶は女性の人権を保障するために不可欠」とみなしている。
・今でもバチカンイスラム諸国など、中絶に反対している国々は残存している。
・しかし、人権尊重と女性のリプロダクティブ・ライツ/ヘルスの保障をうたっている世界の大多数の国々においては、「中絶の規制緩和」と「安全な中絶手法の導入」はもはや止めようのない流れである。
・ところが、日本はそうした流れから取り残されている。
・世界で有数レベルの医療技術を誇るこの国で、中絶医療については、世界でも最も遅れた、古い中絶方法が延々と使い続けられているのだ。
・日本では1948年に、女性の権利のためではなく、敗戦後の人口増加を抑制するために中絶が解禁された。
・当時の医師は、流産の後処置として使われていた「掻爬(そうは)術」、正確には「子宮顎管拡張掻肥術(略 D&C)」を採用し、今でも日本の中絶ではこれが主流である。
・一方、1970年代に女性の権利として中絶を合法化した国々では、掻肥術(D&C)に代わり吸引法が導入され、今では中絶薬が主流となっている。
・つまり、女性の権利として行われる中絶では、より安全でよりスティグマの少ない方法が好まれたというである。
・現在、妊娠のごく初期から中期まで中絶薬を推奨しているWHOではD&Cを「廃れた方法」と呼び「もし今も使われているなら、より安全な方法(引や中絶薬)に切り替えるべき」と指導している。
・にも関わらず、日本では未だに母体の身体に負担がかかるような中絶方法が採用され続けている。
・この問題の根底には、女性の身体を「子供を産むための機械である」という認識が存在し、中絶は産むことを拒んだ女への罰として機能していることを読み取ることができる。

 ・続いて、堕胎罪について述べ、中絶という場面における家父長制の影響力について考察する。
優生保護法は1948年(昭和23年)に制定された。
・堕胎罪は1880年(明治13年)に交付された旧刑法の時代から続いている。
・堕胎罪と母体保護法(1996年に優生保護法から名称変更)の組み合わせによって人工妊娠中絶を管理する法律の枠組みは、現在に至るまで続いている。
・大きな問題は2つある。一つは、女性の人権の視点が欠如していることである。
・明治時代、基本的人権の概念はなく、長男だけが家督を継ぎ、女性は家の名前と財産を継ぐ子どもを産む役割を課せられていた。
・国は、堕胎を犯罪とすることで、①胎児の生命、身体、②母体の生命・身体、③人口維持に対する国家の利益、④生まれる子に対する父母の利益、⑤善良な性風俗の維持を守ろうとした。
・堕ろすことを国が認めない(堕ろせば罰する)ということは、妊娠した女性にとって事実上、産むことは義務であり強制ということである。
・ここに、妊娠している女性の主体性を尊重する視点はない。
・現在、日本で堕胎罪が適用されるケースはごくわずかだが、明治以来のこの法律がベースに存在していることは心に留めておく必要がある。
・もう一つの問題は、配偶者である男性(届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様な事情にある者を含む)に中絶の同意・拒否の権利が認められていることだ。
母体保護法14条では、中絶の条件として原則として「配偶者の同意」を求めている。
・配偶者の同意が必要ということは、配偶者に中絶の拒否権、があるということである。
・女性の心身に関わる医療が男性の許可なしに行えない法の枠組みは、自己決定を基本とする現代医療のあり方からはかけ離れていると言える。
・配偶者に中絶の拒否権があるということはつまり、男性が、女性の意に反して避妊を全くしない場合や、DV加害者である場合でも、配偶者が中絶に同意しなければ、女性は産み続けなければならない、ということである。
・女性が中絶を決意する背景は様々であるにも関わらず、男性の意思決定の「優越」を認めているのが、現在の堕胎罪と母体保護法なのである。
・以上のことから、現在の堕胎罪と母体保護法には、女性に身体の自己決定権を認めず、女性の身体をモノとして管理しようとする家父長制の考え方が色濃く反映されている、ということが言える。

 

・次に、結婚と家父長制の関係性について考察していく。
・日本の結婚式は家父長制の煮凝りであると言える。
・「新婦は父親と腕を組んで共にバージンロードを歩く。一番前の席に待っている新郎。新婦の父親と新郎は互いに礼をし、新郎は新婦と腕を組み牧師の前へ」。
・このような形の結婚式を、キリスト教会は長い間繰り返してきた。あまりにも長い間見慣れてきたために、あまり疑問も浮かばなくなっていたかもしれない。
・しかしなぜ、新郎が母親と腕を組み、新婦の前に立つという形には ならないのだろうか。
・この問題の根底にも、上述した中絶の例と同じ認識が存在していると考えられる。
・つまり、女性は娘であった時には、父親の「所有物」である、ということ、そして、結婚とは女性の「所有者」が父親から夫にうつる儀式である ということである。
・大きく言えば、結婚式とは人身売買の儀式であるとさえ言える。
・「娘さんを僕にください!」というセリフ、好きな異性の苗字をもらうこと、バージンロードを父親と腕を組んで歩くこと、孫の顔を見せることで両親への親孝行をすること、そうしたイメージに憧れを抱く女性が一定数存在していることは認識しているし、そのことを取り立てて批判するつもりもない。
・しかしこれらは全て、家父長制、より具体的に言えば、結婚→出産というサイクルを温存するために美化されたものである。
・選択的夫婦別姓同性婚の議論がなかなか進展しないことからも、女を譲渡するための結婚というシステムを温存することで、女を支配下に置き続けようとする力の存在を読み取ることができる。
・これらの事例からは、司法・立法・行政の三権を含む、社会全体として女性の身体のモノ化、身体の自己決定権を奪うことを許容していることを読み取ることができる。
・つまり、美容業界は女性の身体の自己決定権を奪い続け、罪を犯し続けてきたが、その真の黒幕は家父長制であった、ということである。

3.2 K-POPアイドルの空虚なエンパワメント

・日本と同じく家父長制が根強い韓国に目を向けてみる。
・韓国では近年、伝統的な家父長制への抵抗としてのフェミニズムが勢いを増している。・チョ・ナムジュによる同名小説は韓国で2016年に刊行されて以来、読者からの大きな共感と激しい反発を引き起こし、ひとつの社会現象となった。
・現在、韓国での発行部数は130万部を突破、世界22か国に翻訳されているという。日本でも2018年12月に刊行されて以来、20万部という翻訳小説としては異例の数字を叩き出している。
・『82年生まれ、キム・ジヨン』は、日本でも2020年10月9日に映画版が公開された。

・韓国は長らく他国の支配下にあったことから、民主主義の意識が強い国であり、イデオロギーを表明することが当たり前のこととして国民の意識に浸透しているためか、エンターテイメントにも政治的メッセージが含まれていることがしばしばある。
・その中でも、K-POPの女性アイドルによる、女性へのエンパワメント的なメッセージは、女が惚れる強い女性像を指す「ガールクラッシュ」として度々話題になる。
K-POPの女性アイドルによる、女性へのエンパワメントの例を挙げる。
・「ガールクラッシュ」をコンセプトとして掲げる韓国の5人組女性アイドルグループ、ITZYが2020年3月9日に新曲『WANNABE』のミュージックビデオを公開し、大きな反響を呼んだ。
・この曲をメインに据えたアルバムのCDの売り上げ枚数は126,240枚を記録し、Gaonアルバム週間チャート2020年3月8日~2020年3月14日では1位を記録、Youtubeで公開されているミュージックビデオの再生回数は、2021年10月22日現在の時点で383,190,805回を記録している。
・以下は、ITZYの『WANNABE』の歌詞から抜粋したものである。

이래라 저래라 모두 한마디씩
こうしろ ああしろ みんな 一言づつ
Don’t touch me
私に触らないで
Ah yeah yeah yeah yeah yeah
내 앞가림은 내가 해
私のことは私がする

I’mma do my thang
私は私のことをする
Just do your thang
ただあなたのことをして
Cuz I’m the one & only
だって私はたった一つの存在だから

사람들은 남 말 하기를 좋아해
人々は 他人の話をするのが 好き
남의 인생에 뭔 관심이 많아 왜
他人の 人生に どんな 関心が たくさん 何で
저기 미안하지만 신경 좀 꺼줄래요
あの すみませんが ちょっと 気にしないでくれます?

It’s none of your business
あなたのすることはない
I do my own business
私は私のことをする

누가 뭐라 해도 난 나야
誰が 何と言おうと 私は 私だ
난 그냥 내가 되고 싶어
私は ただ 私に なりたい
I wanna be me me me
私になりたい
굳이 뭔가 될 필요는 없어
あえて 何かになる 必要はない
난 그냥 나일 때 완벽하니까
私は ただ 私でいる時が 完璧だから
I wanna be me me me
私になりたい

・この曲の歌詞を見て、そしてミュージックビデオを見て、どのような感想を抱いただろうか。
・こうした曲が人々の心に響き、話題を呼ぶのは、ルッキズムに代表されるような、容姿に関する抑圧が韓国社会にも確かに存在しているからなのだろう。
・私は、こうした曲が人々に、特に女性に与えるポジティブな影響というものを否定するつもりはない。
・しかし、私はこうしたK-POPのエンパワメントに対し、はっきり言って空虚さを覚える。
・「誰が何と言おうと私は私だ。私はただ私になりたい。私はただ私でいる時が完璧だから私になりたい。」そう歌う彼女たちは、既存の規範に沿った「美しい」容貌をしている。
・性別を問わず、アイドルの身体というものは、常に多くの他者にまなざされ、常に他者によって管理されるものであり、結局は規範の中から出ることは叶わない。
・彼・彼女らは、「アイドルとして許される範囲内で」政治的主張をし、「アイドルとして許される範囲内でしか」規範に抗うことはできないのだろう。
・上述したITZYのメンバーは、既存の美しさの基準によった「美しい」容貌を持っていたからこそ、オーディションを勝ち残るなどしてアイドルとしてデビューし、ルッキズムに抗うためのメッセージを発信する機会を得ることができたのである。
・そもそも、問題があるのはエンパワメントに必要性を持たせる社会の側であるはずだ。
・パワーをつけなければならないということはつまり、武装しなければ、直接的であれ間接的であれ、自身の身体のあり方を好き放題ジャッジし、時に支配しようとし、またある時には、
大量生産・大量消費のサイクルの一部として取り込もうと魔の手を伸ばしてくるこの社会に、あっという間に打ちのめされてしまうということである。
・本来目指すべきは「誰もパワーをつける必要がない社会」のはずである。

3.3 「綺麗になって見返してやる!」の問題点
・話の舞台を日本に戻す。
・一部の女性たちが、家父長制を内面化していることを証明するために、Youtubeの美容広告動画の例を挙げる。
・視聴者に、「美しくなければこのような不利益が生じる」というプレッシャーを与えることによって購買意欲を刺激する、このような広告は数多く存在する。
・それらに共通しているのは以下のようなストーリーラインである。

①容姿に気を使っていないことが原因で、異性の恋人、あるいは夫に浮気されるといった、多くは恋愛の文脈での不利益が生じる。
②しかし、美容に気を使っている知人におすすめされた商品を使用したことで、美しい容姿を手に入れる。
③その結果、美しく生まれ変わった自分を見せることで、自分を裏切った相手、あるいは批判した相手を見返すことに成功する。

・こうした広告の形式を仮に「プレッシャー型美容広告動画」と名付ける。
・これは広告会社に勤める知人から聞いた話であるが、こうした広告は実際訴求力があり、商品の売り上げが伸びているそうだ。
YouTubeをよく見る女性は覚えがあるはずだが、このような「プレッシャー型美容広告動画」は数えきれないほどの数が存在している。
・この「数が多い」ということからも、こうした広告が実際に収益に繋がっていることが推測できる。
・プレッシャーを受けたかどうかに関係なく、単に商品が気になるから買ったのでは?という反論が来るかもしれない。
・しかし、こうした広告はほとんどの場合、売り出したい商品の詳細については動画の後半で紹介される。
・つまり、このようなyoutube広告経由で美容商品を購入したということは、視聴者は「容姿に気を使っていないことが原因で、異性の恋人、あるいは夫に浮気されるなどの不利益が生じる」というストーリーを確実に見て、そこから少なからずプレッシャーを感じたということであるため、プレッシャーと商品を購入したことの因果関係は否定できない。
・私たちの周りには、こうした「美しくなることで周囲を見返す」という物語が溢れかえっている。
・そのようなストーリーに描かれているように、プレッシャーに対して「美しくなる」という選択肢を取ることは、大人しく規範に巻かれただけで自分に不利益をもたらした相手への復讐にはなっておらず、「規範通りに美しくいろ」という、世の中の女性たちにかけられている圧力に従うことができるようになっただけであると言える。
・こうした広告が内包する価値観が浸透していることは、誰にとって都合がいいのか。
・答えは明白だろう。
・これらの事実からは、多くの女性たちに、家父長制が生んだ「理想の身体神話」の奴隷の精神が染み付いているということが言える。

3.4. 「整形女」という烙印
・これは私個人の話であるが、私は前年度の発表の研究動機の部分で、その時既に美容整形を何度かしていたにも関わらず、自分の経験談を一切話さなかった。
・その時はただ漠然と「自分の話をしたくない」とだけ思っていたが、そのことを掘り下げると、つまるところ私は、発表を聞いた人から、「整形女」という烙印を押されることが怖かったのだろう。
・この事実から得ることのできる気付きは2点ある。
・一つ、自分ではそのつもりはなくても、実際には私は、「整形はズル、甘え」「女は皆、正統な努力によって、従来の美しさの型の通りに美しくならなければならない」という抑圧を内面化していたために、「整形女」であることに少なからず後ろめたさを感じていたということ。
・二つ、「整形女」という言葉が断罪の言葉として使われるのは、世間的に「整形=ズル、楽」というイメージが定着していることが根底にある、ということ。
・メスを使わないプチ整形を除いた美容整形の手術のうちの多くは、ひどい腫れや出血、内出血、激しい痛みなどを伴う。
・現実はそうであるにも関わらず、それほど知識が無い人にとっては、美容整形はあたかも、楽して望んだ通りの顔になれる魔法であるかのように映っていると考えられる。
・「整形女」という罵倒から浮かび上がるのは、薬やお金、技術などに頼らない正統な努力によって、従来の美しさの型の通りに美しくなることを女性たちに強制することで、女性を支配したいと考える人々の存在である。
・こうした考えは前述したように家父長制に由来しているため、「整形女」と烙印を押す人々には男性が多いと推測できるが、その個人が女性であった場合、その烙印の裏には、女性蔑視の内面化や、「抜け駆けなんて許さない、一生同じルッキズムの地獄で苦しみ続けろ」というメッセージが存在しているのかもしれない。
・こうした人々にとって女性が美容整形の手術を受けることは、女性が主体性を獲得し、身体の自己決定権を得ることに繋がるため、都合が悪いと考えられる。
・このような理由から、美容整形に対する過剰なまでの批判が起こると考えられる。
・以上のことから、「整形女」という烙印はしばしば、女性の身体の自己決定権を奪うために用いられてきたことが導ける。
・女性から身体の自己決定権を奪い、支配下に置こうとする家父長制の呪いは、理想的なボディイメージが氾濫していることからも分かるように、社会のいたるところに存在している。
・他者によるジャッジから逃れ、自分の身体を自分のものとして生きていくためには、家父長制を崩壊させることによってこの呪いを解く必要がある。

4章 それでも女をやっていく
4.1 美容整形という希望
・ここまでの4章を通じて、様々な観点から「理想の身体神話」と、その信者たちによるジャッジの根深さを証明してきた。
・この章では、美容整形という最初のテーマに立ち返りながら、「理想の身体神話」に基づいて行われる他者からの容姿のジャッジを、なくならないものとして一旦受け入れてみた上で、それでもどうにかして、身体の自己決定権を保持しながら女の身体を生きていく方法を考える。
・選択的夫婦別姓同性婚が、いつまで経ってもなかなか実現しないことからも分かるように、根強く蔓延る家父長制をなくすことは難しい。
・個人の人生にはタイムリミットがあり、私たちの世代があと50年生きるとしても、生きている間に日本の家父長制を滅ぼすことは難しいかもしれない。
・そのため、家父長制に由来するルッキズムとジャッジの苦しみから逃れられないかもしれない。
・ではどう立ち回るべきか。
・前年度の発表で私は、ボディポジティブは既存の美しさの規範を解体させようとしているものの、規範に沿わない身体の美しさを主張しているため、結局は「美しい/醜い」の土俵から降りられていないということを述べた。
・では、他者によるジャッジの軸を、「美しい/醜い」から、それ以外のものに変えることならできるのではないだろうか。
・これはつまり、ゲーム板から降りることはできなくても、ゲームの種類を変えることはできるのではないか、ということである。
・他者からの容姿のジャッジを、なくならないものとして受け入れつつ、身体の自己決定権を保持しながら女の身体を生きていく方法を考えていく上で、Vtuberという存在が参考になった。
Vtuberとは一言でまとめるならば、主に「2Dまたは3Dのアバターを使って活動しているYouTuber」のことである。
・キャラクターの姿で、YouTube上で動画を投稿したりライブ配信をしたりしている人たちを指して、「バーチャルYouTuberVTuber)」と呼ぶ。
 ・代表的なバーチャルYouTuberとしては、Activ8株式会社により制作され、2016年11月から活動を開始した「キズナ アイ」が挙げられる。
・「キズナ アイ」はバーチャルYouTuber界のパイオニアかつ、2021年10月22日の時点で298万人もの登録者数を誇っており、これはバーチャルYouTuberの中では最多となっている。
VTuberは、モーションキャプチャという映像技術を用いて動いている。
モーションキャプチャとは、物体や人間の動きのデータを取り込み、デジタル化する技術のことである。
・例えば、人間の動きを読み取る場合、まず動きを読み取るための機械を頭、腕、足などの各部分に装着する。
・すると、モーションキャプチャのカメラが1つ1つの動作を読み取っていくことで、時間差がないかのように、キャラクターの動きに反映されるという仕組みである。
・最近では、体の動きだけではなく表情も読み取ることができるため、VTuberは喜怒哀楽をよりリアルに表現できるようになった。
・以上がVtuberについての基本知識である。
Vtuberの容姿には様々な種類が存在するものの、そのほとんどは視聴者に好まれるように製作されており、簡単に改変することができる。
・つまりVtuberは、容姿の美醜についてのジャッジから解放された存在と言えるのではないかと考えた。
・この仮説を検証するために、Vtuberアンチスレ(電子掲示板などにおいて特定の対象に敵対する立場の人がやりとりするために設けられたスレッド)を見てみた。
・その結果、私が目を通した限りでは、Vtuberの顔のデザインについての批判・誹謗中傷はほぼ見つからず、投稿の内容のほとんどはVtuberトークの内容や行動に関するものであった。
・これらの内容から考えられることは以下の通りである。
・このまま美容整形のカジュアル化が進めば、Vtuberの容姿のように、元の肉体に関係なく、お金さえあれば誰でも自分のなりたい容姿に時代が来るかもしれない。
・美容整形による身体加工がより容易に、より身近になれば、Vtuberのように、人間は「美しい/醜い」を判断基準とした他者からのジャッジの軸から解放され、見た目が「好み/好みではない」の軸でジャッジされるようになるかもしれない。
・そしてそれは、「理想の身体神話」に基づいて行われる他者からの容姿のジャッジが日常的になされるこの社会で、身体の自己決定権を保持しながら女の身体を生きていく方法として有効なのではないか。
・ボディポジティブにもボディニュートラルにも限界があることからも分かるように、私たちは今後も他者からのジャッジから逃れることはできないが、Vtuberのようにジャッジの軸を「美/醜」から「好み/好みではない」に入れ替えることはできるかもしれない。そして、美容整形はそのための手段であり、希望になり得る。
・なお、女性が身体を加工する自由(=身体の自己決定権)があり、ボディポジティブなどの運動によって美しさの選択肢が複数提示されている状態で、熟考に基づいて個人が選択したことであれば、美容整形によって目指す姿が既存の美しさの社会的規範に沿ったものであっても、ルッキズムの再生産には加担することにはならない。
・当初はこのように考えていた。しかし、本当にそうだろうか。

4.2 ルッキズムから解放されたはずだったVtuber
・上述した最初の結論に辿り着いた際、私はVtuberルッキズムから解放された存在として認識していた。しかし、まずはその点から疑ってみたい。
・以下は、「株式会社はてな」が運営する、匿名ブログサービス『はてな匿名ダイアリー』に投稿された文章から引用したものである。

2021-08-02
■バーチャル受肉ルッキズムから解放してくれない

vtuber文化の興隆はルッキズムからの解放ではなく、むしろルッキズムに技術が追いついたと言えるのではないか。
「生まれ持った容姿に関係なく人気者になれる」でもなく
「容姿が"悪く"ても人気者になれる」でもなく、
「容姿を"良い"ものに差し替えれば人気者になれる」であり、それは「容姿が"良く"ないと人気者にはなれない」という言い換えに帰着する。
世界的に多様性を尊重しようとする大きな流れとポリコレ疲れ(と呼んで誰かを傷付けないための努力を揶揄するのは嫌いだけど、あえてこの言葉を使います)による反・反差別のようなぶり返しもある中、vtuberが世界的に人気なのって強烈なルッキズムを隠蔽しつつ「中身もわからないバーチャルな存在を受容している俺ってとってもコレクトでしょ」ってアピールができるからなのかなって。
本来バーチャル受肉は「なりたい/あるべき自分の姿になるため」の技術だと思うし、自分の容姿やコンプレックスから解放される体験は何事にも変えられない価値がある。
それをお金にしようとするから「容姿を"良く"するため」になってしまうわけで。
容姿で悩んできたくせに気付くと美しいものを目で追いかけてしまう自分にモヤモヤしてしまう。

・「バーチャル受肉」、あるいは、「バ美肉」(「バーチャル美少女受肉」の略称)とは、人間が美少女の3DCGモデルやイラストのアバター(化身)・依り代を用意し、そこへ魂として入るこを指す。特にその状態で「バーチャルYouTuberなどのように活動すること」やあるいは「VRChatなどのバーチャル空間へ顕現すること」を短く表現する言葉として扱われている。
・この匿名ダイアリー内で述べられている「vtuber文化の興隆はルッキズムからの解放ではなく、むしろルッキズムに技術が追いついたと言えるのではないか。」という主張に全面的に同意する。
・バーチャルでない、生身の人間のYoutuberが視聴者の人気を得るためには、容姿が優れていること、コンテンツ力やトーク力といった、何かしらの能力が優れていること、これら2つのうちどちらかを満たしていることが必須の条件となる。
・しかしVtuberの場合は、整った容姿であることがデフォルトとなっているため、人気が出るかどうかは、コンテンツ力やトーク力によるところが大きい。
・これはつまり、実際には厳然と存在し続けているにも関わらず、技術の進歩によってルッキズムが不可視化されている状態であると言える。
・さらに、Vtuberの顔のデザインについての批判・誹謗中傷は見つからなかったものの、キャラクターの身体、特に胸の大きさについての批判・誹謗中傷はアンチスレに限らず、そのVtber本人の動画のコメント欄でさえ、「胸の大きさいじり」として数多く見受けられた。

・そういったコメントをする人々には、バーチャルの肉体だからこそ、遠慮せず性的に消費できるという意識が存在しているのかもしれない。
・このことから、容姿に関して、少しでも対象にジャッジできる要素があれば、それがバーチャルの肉体である場合でさえ容姿のジャッジをしたがるということが、人間に普遍的に見られる性質であると理解した。
・つまり、Vtuberルッキズムから解放された存在ではなく、技術の進歩によってルッキズムが不可視化されている状態であると言える。
・そして、以上のことからは、バーチャル受肉をしたとしても、人間は他者によるジャッジからは逃れられないということが導き出せる。

4.3 軸をすり替えることの問題点
・最初の結論を出した際、私は以下のように考えていた。
・このまま美容整形のカジュアル化が進めば、元の肉体に関係なくお金さえあれば誰でも自分のなりたい容姿に時代が来るかもしれない。身体加工がより容易に、より身近になれば、Vtuberのように、人は「美/醜」を判断基準とした他者からのジャッジの軸から解放され、「好み/好みではない」の軸でジャッジされるようになるかもしれない。
・ボディポジティブにもボディニュートラルにも限界があることからも分かるように、私たちは今後も他者からのジャッジから逃れることはできないが、Vtuberのようにジャッジの軸を「美/醜」から「好み/好みではない」に入れ替えることはできるかもしれない。そして、美容整形はそのための手段であり、希望になり得る。
・なお、女性が身体を加工する自由(=身体の自己決定権)があり、ボディポジティブなどの運動によって美しさの選択肢が複数提示されている状態で、熟考に基づいて個人が選択したことであれば、美容整形によって目指す姿が既存の美しさの社会的規範に沿ったものであっても、ルッキズムの再生産には加担することにはならない。
・初めはこのように考えていたが、この論理にはいくつもの穴が存在する。
・まず、美容整形外科が儲かれば儲かるほど、より大きな利益を得るために「理想の身体神話」は強化されるため、結局はルッキズムの構造の再生産に加担する事になる。
・さらに、軸を「好み/好みではない」へとすり変えたところで、「好きな人の好みになりたい」という純粋な気持ちは資本主義へと回収され、構造の再生産が発生する。
・この考え方の問題点は他にも存在する。
・「好みじゃない」顔にも色々な種類があると考えられるが、例えばいわゆる「整形顔」は、極端に目や唇を大きくしていることが多いことから、「不自然で望ましくない」と批判されることが多い。
・美容整形手術を何度も受けることによって、いわゆる「整形顔」になることは、既存の美しさの規範から逸脱することに繋がり、ジャッジや性的な視線から逃れることもできると考えられる。
・規範から逸脱することによって、他者によるジャッジから逃れることに成功した、別の例を挙げる。
・例えば、1990年代後半~2000年代前半にかけて、東京の渋谷センター街などに数多く出現したガングロメイクとド派手なファッションが特徴の、いわゆる「ヤマンバギャル」は、自分のありたい姿を追求しつつ、一般的な「かわいい」の規範から逸脱し、ジャッジの軸の外側へと逃れることに成功している。
・望んでその姿でいるならば何も問題はないのだろうが、「ジャッジから逃れる」という目的意識が先行した場合、ジャッジする人とそこから逃れようとする人、という非対称な構造が生まれてしまう。
・さらに、規範から逸脱するためのコスト(金、美容整形であれば体への負担、時間)をジャッジされる側が負わなければならないのは、権力関係が不均衡であると言えるし、本来ならば、見た目を変える選択をしなくてもストレスなく生きられる状態が望ましいはずである。
・そもそも、こうした個人レベルでできる抵抗によって、容姿にまつわる諸問題にその場しのぎで対処しようとしてきたことこそが、構造を温存し続け、現在多くの人が抱えているボディイメージにまつわる様々な苦しみの原因となっているのではないか。
・そのため、この考え方にも限界が存在すると感じた。

 

4.4 肉体は魂の器
・この論の中で、ボディニュートラルを実践することと、ジャッジの軸を美/醜から好み/好みではないに変えること、という二つの考え方を、ボディイメージにまつわる諸問題を解決する糸口になるかもしれない、と取り上げてみたものの、書き進めていくうちに、そのどちらにも限界があることに気が付いた。
・これら二つの考え方に共通しているのは、社会問題を個人の捉え方や行動の問題に矮小化しているということだ。
・これら二つの案に挫折したことから、たとえ長い道のりであっても、やはり社会を変えることによって、問題の元を絶たなければならないと考えた。
・ジャッジの軸を「美/醜」から「好み/好みではない」へと入れ替えることについて、「ゲーム盤から降りることからできなくても、ゲームの種類を変えることはできるのではないか」という言い方をしたが、不可能に思えたとしても、それでもやはり、ゲーム盤自体を壊す必要があるのだ。
・具体的には、身体に対する社会の認識を変える必要があると考えている。
・「身体は様々な要因によって流動的に移り変わるものであり、自分の意思で改変することもできるし、そうしなくてもいい」という共通認識を社会全体で前提として持つことが必要である。
・もう一段階具体化すると、体型や顔は加齢やストレス、食事、運動などの要因によって変化し得る、また自分の意思で変えることもできる、ということだ。
・なお、ここで使われる変化という言葉の定義には、事故による怪我や欠損、投薬治療の副作用などの影響で太りたくても太れない、痩せたくても痩せられない場合は含まない。
・さらに言えば、身体が変化することをポジティブに捉えるかネガティブに捉えるか、あるいはニュートラルに捉えるかどうか決めるのは、社会ではなく個人である。
・以上のことを非常にざっくりと言い換えれば、肉体は単なる器でしかない、と認識すること、つまり、身体への過剰な意味付けをやめるということである。
・この認識が共有された社会で、美容業界がこれまで犯してきた罪を償うために、ビジネスを通じて発するべきメッセージとしては、
・「肉体は魂を入れるただの器だが、デコって可愛くすることもできる、器のデコり方にも色々なやり方があり、自分が可愛いと思ったものを選ぶことができる。
そして、他人の器を愛でてもいいが、その際に他の器を引き合いに出して褒めてはならない。また、他人の器を私物化してはならない。」ということになる。
・これは、美容業界が発することを許された唯一のメッセージであると同時に、私たちがストレスなく美容を楽しむための基本のスタンスにもなり得るのではないか。
・このように、美容整形も化粧もダイエットも、するもしないも自由であり、他人にとやかく言われる筋合いはないという意識を持つことは、家父長制の中で管理された身体を脱するということに繋がる。
・私が取る立場は美容整形批判でもなければ、美容整形の推奨でもない。
・身体を自分の望む姿に変えたいと思った人が取ることのできる選択肢の一つとして、ただ常に存在し続けて欲しいと考えている。
・繰り返し述べるが、私の主張は、「身体はその気になれば変えることができる、変えてもいいし変えなくてもいい、(自分の思う)美しい姿を目指さなくてもいい」という認識を、社会全体で共有するべきである、ということだ。
・この考えは、老いを悪とするエイジズムの打破にも繋がると考えられる。
・また、(ある程度限界はあるものの)、身体は変えようと思えば変えられるということを理解していれば、意図しない身体の変化にも冷静に対応することができると考えられる。
・この認識が共有されることによって、多様な姿のロールモデルが生まれ、結果として、人々を苦しめてきた「理想の身体神話」を崩壊させることに繋がるのではないか。
・なお、ボディ・ニュートラルとの最大の違いは、個人の捉え方の問題か、社会全体で共有された認識であるかどうかという点だ。
・個人の捉え方を変えることは問題の矮小化であり、根本的な解決には至らない。
・「肉体は魂の器」という言い回しが誤解を生みそうなので注意を入れておくと、私は、精神を肉体より上位に置く、いわゆるデカルト的身体観に帰着させたわけではない。
・器の例を使うなら、器のデザインにこだわる人もいれば、器の中に何を入れるかにこだわる人もいる。ただどちらの選択も尊重されるべきということである。

結論
・他者による女性の体のジャッジは、女の身体をモノとして管理し、支配下に置く家父長制の考え方に由来している。
・個人レベルでのボディニュートラルの実践や、他者によるジャッジの軸を「美/醜」から「好み/好みではない」に変えること、そのどちらも、社会問題を個人の捉え方や行動の問題に矮小化しているに過ぎない。
・そのため、「身体は様々な要因によって流動的に移り変わるものであり、自分の意思次第で改変することもできるし、そうしなくてもいい」という共通認識を社会全体で前提として持つことが必要である。

 

あとがき
・これまで美術をずっと続けてきて、ふくよかであることや、歯を黒く塗ることといった、様々な美しさが世界には存在することを知っていたため、絶対的なただ一つの美しさの正解が、規範として存在していることに対して違和感を抱いていた。
・過度のストレスにより離人症らしき症状が出た際、精神体の自分が抜け出て、魂の器である実体の自分を外側から見ているような感覚があった。それが今回の発表の結論部分の内容に繋がったのではないか。
・おもしろさを追求するために、これからもどんどん自分の魂の器である肉体を、美容整形によって可愛くカスタムしたり、メイクでデコったりしていきたい。
・電気メスを使用する美容整形手術では自分の肉の焼ける匂いがするそうだが、正直めちゃくちゃおもしろいので、絶対に自分の顔で焼き肉をしたい。

 

参考文献

書籍

・長田杏奈(責任編集)、松尾亜紀子(発行者)、『エトセトラ VOL.3』、エトセトラブックス、2020年。

・マイケル・タウシグ(著)、上村淳志・田口陽子・浜田明範(訳)、『美女と野獣』、水声社、2021年。

・長田杏奈、『美容は自尊心の筋トレ』、水谷聡男発行、2019年。

・西山哲郎・谷本奈穂(編集)、『身体化するメディア/メディア化する身体』、風塵社、2018年。

・エリザベス・ハイケン、『プラスチック・ビューティー-美容整形の文化史-』、平凡社、1999年。

鷲田清一、『見られることの権利〈顔〉論』、中央精版印刷株式会社、1995年。

 

辞書、辞典

・「家父長制(かふちょうせい)」、『デジタル大辞泉』。

 

雑誌

・『Vogue Japan』2019年6月号。2020年5月号。2021年1月号。2019年6月号。

・『anan』2020年9月号。

・『voce』2020年7月号。

・『story』2021年9月号。

・『Elle』2021年8月号。

・『アエラ』2020年4月号。

・『キャンキャン』2020年9月号。

・『ウィズ』2021年4月号。

 

Webサイト(以下全て最終閲覧日2021年10月25日)

・「ありのままの体を愛そう 世界に広がる「ボディポジティブ」の考え方とは?」、https://eleminist.com/article/542

・「Buzzfeed news 日本の女性は、世界で一番「見た目」に自信がない。調査でわかった7つのこと」、https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/dove-body-image-2017

・「Vogue『ボディポジティブ』ムーブメントの光と闇。」、https://www.vogue.co.jp/change/article/why-the-body-positivity-movement-still-has-a-long-way-to-go-cnihub

・「クィア・ベイティングは搾取か、それとも進歩の表れか」、https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47877196

・「ITZY、チョンハ、MAMAMOO……新たなガールクラッシュコンセプトに挑んだK-POPアーティスト」、https://realsound.jp/2019/12/post-462460.html

・「映画『82年生まれ、キム・ジヨン』オフィシャルサイト」、https://klockworx-asia.com/kimjiyoung1982/

・「根深い性差別を突きつける『82年生まれ、キム・ジヨン』 共感と反発を引き起こした大ベストセラー小説の映画化!」、https://www.banger.jp/movie/44558/

・「“Toxic Positivity(有害なポジティブさ)”とは? 常に前向きじゃなくていい、ファッションも人に寄り添うものに」、https://www.wwdjapan.com/articles/1150447

・「『ボディ・オートノミー/からだの自己決定権』って何?性被害や虐待を防ぐためにも子供たちに教えたい権利の話」、https://front-row.jp/_ct/17463650

・「【歌詞日本語訳】ITZYのWANNABEをカナルビ付きで紹介!」、https://thecheche.com/itzy-wannabe-lyrics/

・「『ケイト』の小顔シルエットマスク第3弾が登場 グラデーションの視覚効果で顔印象スッキリ」、https://www.wwdjapan.com/articles/1247473

・「中顔面短縮・前額形成|美容外科、美容整形の小木曽クリニック」、https://www.kogiso-clinic.com/menu/50/

・「北九州に“ヤマンバ”が現存!? 令和を生きる“ガングロギャル・うぬさん”って一体どんな人?」、https://arne.media/column/142603/

・「バーチャルYouTuberVTuber)とは?今更聞けないキホンの解説!」、https://join.biglobe.ne.jp/mobile/sim/gurashi/vtuber/

・「【はてな匿名ダイアリー】バーチャル受肉ルッキズムから解放してくれない」、https://anond.hatelabo.jp/20210802163409

・「容姿や体型をイジるひどいセリフ…人のコンプレックスをあおる動画広告、あなたは広告と割り切れる?」、https://maidonanews.jp/article/13529714

・「VTuberが動く仕組みとは?必要なソフトや機材について詳しく解説」、https://entamejin.com/column/archives/3581

・「バ美肉とは (バビニクとは) [単語記事] - ニコニコ大百科」、https://dic.nicovideo.jp/a/バ美肉